2020年02月28日

曽木地区(下曽木) 本耶馬渓町

(大分県)中津市の関係者と本耶馬渓町・曽木地区の話
になった(中津は、知られていない人材には信頼できる
人達がいるのだが、反対に…)。
曽木地区とは、地理的には青の洞門の辺りから見て、山
国川対岸の上・下流の地域となる。

この曽木地区は、住宅地(集落)で見ると、山と川とが
押し寄せる細長い、典型的な耶馬渓型集落形成(造語)
なのだが、ちょっと面白い特徴があることを思い出した。
資料等には載っていない、自称・研究者達も知らない…
「しょーもない事」なのだが、紹介させてもらいたい。

地元の人達は、曽木地区を大きく「上曽木」「下曽木」で
分けて暮らしている。それ自体は珍しいことではないのだ
が、「上曽木」は山と川とに狭められた平地に形成されて
いるのに対し、「下曽木」は山地の斜面を切り開いた土地
に住居や田畑までが開拓されている、つまり大部分が「坂」
なのだ…ただそれだけ。

「下曽木は【坂】の地区である」と覚えてくれると嬉しい。
「どこが面白いの?」か「面白いな!」。どちらと判断さ
れるかは貴方次第デス。

2020-0228-2・ブ.JPG
「上曽木」の景観。奥の山は通称「七仙岩」の一部分で、
別名「起雲洞」と云われるとあるが、なるほどよく霧がた
なびく場所だ。2016年頃の撮影。

2020-0228-1・ブ.JPG
「下曽木」の景観。集落はまだ上方にも続く。稲穂の金色
の頃に、対岸の樋田地区の国道212号線辺りから眺める高
度感に「あんなに上まで水田が〜」とチョット驚くかも。
近所に移転したパン屋さん(おススメ)と、伐採された桐
と桜の木も見える懐かしい写真。
写真が判り辛かったのであればお許しを…。

posted by 薄学斎 at 19:43| 耶馬渓(本耶馬渓)

2020年02月22日

山国川下流域 2020.02.22

マガモの首部の青が順光線に照らされ輝く。
カワセミにオオルリ…美しい「青」(とい
うよりは「蒼」の方が似合う)を持つ鳥は
他にもいるのだが、鮮やさでいうなればマ
ガモのそれが最も強いと感じる。

子どもの頃に居た「ガー子」(♂)という、
秋田犬とチャボと仲良しだった、羽の折れた
マガモのことを思い出す。
以前と比べて、山国川で過ごす「冬の使者」
が少なくなった。

そして近年、青のり採りや寒ボラ釣りをする
人達の「冬の風物詩」も見られなくなってき
ている。これには事情が幾つかあるのだが。

2020-0222-1・ブ.JPG
川は水だけでなく、風の流れる場所でもある。
海水と淡水の入り込む汽水域に生育する、収
穫された「青のり」が風に晒されてるはずの
場所から山国川河口部を望む。

「冬の使者」達のピーャ・ピーャの警戒音を
聞きながら、変貌する下流域を考えていた。
本来ならば、刺すような北風も緩い。

posted by 薄学斎 at 19:20|

2020年02月21日

耶馬渓 青の洞門 潜入調査ファイル 4

「青の洞門 30年説」の不思議。(今回も長〜いです)

青の洞門の完成まで何年?。これは青の洞門研究最大の面白さの
部分で、昔から様々な説が唱えられてきたことが先人達の残した
資料から読み取れる。しかし中津市となり、なぜか「30年」に…。

「掘り始めてから〜」⇒補助金と予算と工期という概念に染まる
と陥ってしまう横穴でなく落とし穴だ。
どのように掘り進めたか?。当初から必要な大きさでそのまま堀
り進んだのか?。まずは1〜2人の大きさで堀り進み、その後から
周囲を拡張したのかなど…ここ25年間を見てきても、工法などを
検証された形跡はない。

地元・観光に視点を置くと、耶馬渓に来た禅海が競秀峰に隧道を
穿つことを発心してからになるのでは?。
禅海の発心から工事着手。更に工事中断もあったのかも知れない。
何も考えていない…言ってしまうと、根拠に危うい30年説なのだ。
それに…青の洞門の当時の手がかりの大半は失われた現在である。
ある人が「岩を掘ったこともない人達が勝手なことばかり…」と。

地元の観光ガイドには「人と牛馬の力しかなく、資金的にも困難
が想像できる難工事。そんな時代にこれだけのものを掘り抜いた。
一体どれだけの年月がかかったのでしょう」ぐらいは話して欲しい。
ただ台本通りに「これが○○です・ます」では、その場所の魅力を
耶馬渓に来てくれた人達に伝えるには役不足だ。と言いたい。

2020-0221-1・ブ.JPG
折々の競秀峰の中でも、大好きなのは「夏雲の競秀峰」だ。

posted by 薄学斎 at 02:57| 耶馬渓(本耶馬渓)