2019年12月20日

「邪馬台国」はどこにあったのだろう。

過去に何度か、邪馬台関連の出版ブームがあったというが、薄学斎の
世代にはピンとこない。しかし関連本はそれはもう数多く存在する。

身の回りのアチコチに邪馬台国の関連本が散在している。大正期から
昭和50年代までが多いか。著者のゴリ押し持論ばかりでウンザリなのだ
が古本屋などで見かけると、つい嬉しくなって手が出てしまう甲斐性の
ない薄学斎なのである。でも、お約束の未読本も多い…あの世に旅立つ
までには読破しようと思ってはいるけれど。

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で、画像の2冊となる。「である」は1971年・秋田書店:発行。
ケンカを売る形の?「でない」は1973年・新人物往来社:発行…後者
の出版のいきさつを知りたい気がする…。良い時代だったのだろう。

邪馬台国はどこにあったのか?。おおよその研究?本は「魏志倭人伝」
の記述をアーダコーダ自己中に解析している。水行〇日陸行●日という
アレである。今風にいうと「北九州空港からシャトルバスで日豊本線・
朽網駅。からの中津駅下車。駅前からバスにて…」って感じである。

「〜美夜古(みやこ)に邪馬台国があったと言い出すであろう君のこと
だから〜」と親世代の友人からメールが来た。ちなみに「美夜古」とは
福岡県行橋市・苅田町・みやこ町・築上町の周辺地域の古い呼び名。
そのメールの返信に「邪馬台国って耶馬渓にあったんですよ。知りませ
んでしたぁ?」と送ったら…さすがの彼も絶句・であった。

特異な地名「耶馬渓」。「耶馬台国」「邪馬台国」「耶馬」「邪馬」
「耶馬渓」「邪馬渓」→そろそろ効いてきたかな。

「ふるさとの富士」が各地にあるように「ご当地邪馬台国」のような親
しみ方はできないものか?。どれだけ遊べるか…そんなシンポジウムを
耶馬渓で実現できたら楽しい。

結論として。
「邪馬台国は耶馬渓にあったのだ!」。
言ってしまった…。実は…中枢と思われる場所も既に見当を…ブッブッ…。
とうとう放ってしまった…。あぁ〜生命の危険を感じる。


posted by 薄学斎 at 06:58| 本・資料