2019年12月11日

耶馬渓 山国川・犬走り 危険に晒される神聖な石

耶馬渓・青の洞門から山国川を500mほど遡ると、沈み橋と
川中に奇岩が突き出す「犬走り」呼ばれる場所がある。

青の洞門とセットでオススメしたい場所なのだが、知名度
がない。何せ、観光ガイドが地元の中学生達に解説ができ
ず「ガイドコースから外れているから…」と言い逃れたぐ
らいなのだから…穴場の景勝地。
ここを訪れた人は、沈み橋上からの上流の景色に見とれてし
まうだろう。

注・流水が橋の上を流れる構造の沈み橋には欄干がない。危険
を伴うので、沈み橋の利用は自分の責任にて。
また自動車は入れず駐車場もないので、青の洞門駐車場か道の
駅から徒歩となります。

「明らかに川の流れ(筋)が変わった」と地元の人達が話す。
その今秋の増水で犬走りが被災した。ここは「九州自然歩道」
の一部なのだが歩道の一部が損壊し、河原の川石が押し流され
て岩床が剥き出しになってしまった。
この場所には「ひぃ立て岩」などと呼ばれる神聖な石がある。
自然歩道の復旧工事で、この石まで傷付けられたり撤去されな
いか不安なのだ。
本などには載っていないから、中津市の学芸員達も知らない可
能性が高い。他の関係部署はどうなのだろう?。

資料等にないことはブログに掲載しないことになっているのだ
が、今回は仕方がない。役所関係は、一般からの進言は軽視し
てしまう。誰か力を貸してくれないものだろうか。


2019-1211-5・ブ.JPG
これが「ひぃ立て岩」。上流の柿坂辺りからプカプカと浮いて
流れて来たという。薄学斎は「ひ」とか「ごひ」と呼ぶのだが
方言なのか。「御幣(ごへい)」が正しいのかな?。
川石の河床だったのが、すっかりと流されてしまった。
協力してもらえるのならば、水害以前の写真の提供も検討中。
後方は、青の洞門有する「競秀峰」の列峰。

2019-1211-3・ブ.JPG
「九州自然歩道」損壊部。すぐ横に「ひぃ立て岩」がある。

2019-1211-2・ブ.JPG
本来ならば犬走りの岩は黒っぽい色。護岸工事のコンクリート
のアクなのか白く汚れている。
2012年の水害以来、犬走りの岩の浸食が目に見えて激しい。
後方は沈み橋。

・犬走りの紹介は、今後少〜しずつ進める予定です。

posted by 薄学斎 at 07:48| 耶馬渓(本耶馬渓)

2019年12月04日

耶馬渓 青の洞門 潜入調査ファイル 3

第3弾は少しずつ作成を進めたが、途中に壁に当たってしまった。
今回は「青の洞門」の秘密の一つに迫ってみよう(長くなりますが…)。

青の洞門の工事は江戸時代中期(1700年代)に行われている。もちろんすべ
て手掘り…瓦礫の搬出も同様だろう。
青の洞門の駐車場から自動車で5分ほどの所に「羅漢寺」という禅宗(曹洞
宗)の古刹があり、禅海堂という建物で洞門開鑿に用いたと伝わる鎚と石鑿
を見ることができる。しかし他にどのような道具が使用されたのかという調
査はされていない。「試掘」の検証もアリかと。

「やばけい日本遺産」で耶馬渓を「柱状の断崖」の地域のように仕立て上げ
ているが、「柱状」とは「柱状節理」であって、実際には耶馬渓内で「柱状
の断崖」が何処でも見られる訳ではない。今まで耶馬渓に無関心だった者達
の先入観と辻褄合わせばかり。「世界遺産」で「柱状節理」の認知が広がっ
ている事にも気づいていないようだ。
「柱状節理」は石川県・東尋坊の断崖を検索するとよく分かる。耶馬渓の節
理に関しての考察は別の機会に。

2019-1204-3・ブ.JPG
これが「柱状の断崖」の近撮(深耶馬渓にて)。いかにも固そうだ。マグマ
が冷え固まった岩。ツルリとした感触の岩肌。

2019-1204-2・ブ.JPG
そして青の洞門内の岩壁の近撮。「凝灰角礫岩」?。「凝灰角礫岩」とは、
積もり固まった火山灰や土砂の中に岩石や瓦礫が含まれている岩質のことだ
という。いわゆる「礫岩」でも差支えないのだろうか。
遠望すると、おろし金のようなガザガザとした岩肌をしている。
実は壁に突き当たったのがココだった。アドバイザーは「集塊岩」と教わっ
たと話す。「角礫岩」と判断が付かずにいる。このブログでは後者で話を進
める。どちらにしろ掘り易そうな岩質だ。

2019-1204-1・ブ.JPG
「(石)ノミの痕」とされているが、禅海の時代当時のものかは不明。
それよりも、この部位は「凝灰岩」だろうか。それとも「凝灰角礫岩」から
岩石等を取り除いた岩肌だろうか?。現・洞門も含め、全体をよく観察して
考えていきたい。
注・「石ノミ(鑿)」とはタガネのような道具をお考え下さい。

もしも競秀峰が、彼らの言う「柱状の断崖」だったらば禅海の志も硬い岩質に
歯が立たずに打ち砕かれていただろうと考えられる。
で、ここに青の洞門の秘密があったりする。

禅海には「競秀峰」が掘り易い岩質だという算段があったのではないかと…。
岩石や瓦礫を取り除けば、段差やひび割れといった「キッカケ」ができる。
コンクリートでも「キッカケ」を突けば、意外にハツり進むことができるぐら
いだから、より柔らかく含有物を多く含んだ「凝灰角礫岩」は手掘りでも掘削
し易い岩質だと考えられる。
ただし「掘り易い」=「崩れ易い」。危険性はより高まりそうだ。

長くなり過ぎたので続きは次回(第4弾)に。



posted by 薄学斎 at 06:59| 耶馬渓(本耶馬渓)

2019年10月30日

耶馬渓 青の洞門 潜入調査ファイル 2

ファイル1の写真説明の続きです。

・画像中のクレジット表示は取り決めです。クリックで拡大されます。
・資料画像中の記入は「コピー・複製等は最低限にする」という当学会
 の意向によるものです。ご理解下さい。

洞門-1910-1 (5).jpg
現・青側「第二洞門」部分。この辺りは崩落部分と推測。他にも崩落
したと思われる部分が複数個所見られる。今後の調査課題だ。


洞門-1910-1(6).jpg
現・青側「第三洞門」入口の崖側に、くり抜き部がある。
洞門竣工後の法要の際に、禅海が寄進したと伝わる石仏がここに御座
っていたそうだ(現在は耶馬渓風物館へ合法的に持ち去られ)。
移動させる際に内部から、禅海の自筆とされる木製の板碑と和紙の文書
が発見された。
文書の方は固着し展開も出来ない状態。近年「破れても仕方がないか
ら、剥いでみようか…」などと言った学芸員がいたと、関係者が呆れ
ていたが…この場合、学芸員のすべきことは将来の技術に託す為の保
存努力なのだ。もう手遅れか…な?。

洞門仏像.JPG
昔の絵葉書より。


洞門-1910-1 (11).jpg
現・青側「第三洞門」内に川側に降りる階段がある。
ここから短い距離なのだが、樋田側の旧・洞門が残る。
階段手すりの向こう側にも旧・洞門らしき痕跡があるように思える。
現在の歩道の下に旧道があったと推測しアドバイスを求めると、やはり
後年に嵩上げされているとの返答があった。


洞門-1910-1 (7).jpg
明かりとりの窓(牗・ゆう)。
耶馬渓内に一部現存する「一ッ戸隧道」を頼山陽が歩いた記述に、
牖から覗いた渓水に浮かぶ月の印象がある。
一ッ戸隧道も青の洞門も、牖の外は同じ山国川の渓水の流れ。
牖は採光の他に、掘削中の瓦礫捨てにも利用されたらしい。


洞門-1910-1 (12).jpg
もう一つの牖。
奥の仏像は持ち去られた後に設置…安易に代用品を造り置く信心の欠落。
耶馬渓風物館の仏像も、また洞門内のどこかに戻せないものだろうか?。
スロープの設置はこの場所のみ。あと増水時の冠水にも御注意を。
現在、内側から楽しめる牖はこの場所の2つのみ。

洞門内部 昔-1.JPG
青の洞門内部・明治期(演出が過ぎるような…)。


洞門-1910-1(13).JPG
樋田側出入口。
ここを入ってすぐ右側に前写真のスロープがある。
青の洞門では車両は一方通行。信号待ちの対向車がある為、洞門内はスム
ーズに走行したい。
「日本初の有料道路らしいよ」とタブレットを見ながら話していた観光客が
いたのだが、この説には異論があるということを覚えておこう。

とりあえず通過してみた。
青の洞門は全長約350m。その内トンネル部が約150mほどと伝えられている。
ファイル3はどこから摘まもうか…。

※現在の県道トンネル部は3ヶ所あり、「青側第〇洞門」の記述は当ブログ内だけ
のものです。樋田側からは逆になります。


posted by 薄学斎 at 07:29| 耶馬渓(本耶馬渓)