2020年01月12日

耶馬渓(山国町)と日田

日田の国重文の「鉄鏡」が魏志倭人伝に記述のある→
あの有名な銅鏡百枚の一枚である可能性を示唆する記事
が載っていた。
「金銀石英象嵌竜文鉄鏡」については検索してくだされ。

現在の中津市だが耶馬渓・山国町と日田市は隣街になる。
大きな山(峠)越えはあるけれど…お隣さん。
山国町は「奥耶馬渓」と呼ばれるように「奥地」にある。
山国町の中心街である守実地区からだと山越えで行ける
日田と、山国川に沿って延々を耶馬渓を縦断し、平野部
に入ってからも更に時間のかかる中津市街…。今も昔も
交通の手段・環境は変われど行き来の苦労に差があるこ
とには変わりはない。

平成の大合併の波が押し寄せ、国からの圧力にアタフタ
している頃、山国町の中には日田市との合併を模索する
動きもあった。「山国町は生活圏としては昔から日田市
の方への依存度が高い」と、金網の上のイノシシとシカ
肉と自家野菜をつつきながら聞いた思い出がある。

わが耶馬渓と日田は同じ地域。薄学斎が勝手に設定して
いる「山国川水圏」にも日田は含まれているのだから。

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で、長々と能書きの末に出したかったのはコレである。
「日田の宝鏡」―金銀石英象嵌竜文鉄鏡の謎―
木籔正道:著。 平成4年・芸文堂:発行。
少しだけ山国川流域の記述もあるが…日田説の本だ。

邪馬台国は「耶馬溪」を中心とした「クニ」の集まり→
連合国家のような形態だったのではと見当つける薄学斎
の考えと重複する部分がある。
書棚で出会った時に「おおっ〜」となった書籍。


posted by 薄学斎 at 17:12| 本・資料

2020年01月08日

冬の虹

冬季に寒波が下りて来て西高東低の典型的な気圧配置になり、以前は耳にしな
かった爆弾低気圧に発達しても気圧配置によっては、南からの暖かい空気が引
き入れられて、北日本は大雪・大荒れでも南日本は季節外れの陽気となること
がある。この冬は二度目か。

昨日は暖かな陽気だった。夜半に気味の悪いほど蒸した空気になった後に、予
想通りスコールのような降雨と強風に見舞われた(正直言って予想以上…)。
ここ数年は、30年近く続けてきた風の読みが当てはまらなくなることが多い。

夜が明けて雨足は弱まったが強風は収まらず、でも空には晴れ間も広がる「こ
れはコレハ…」と車にカメラを積み込んで行動していると、こちらは期待以上
の虹の架け橋。

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「佐井川」。犬ヶ岳山系に源を発し直滑降的に短距離で周防灘に注ぐ二級河川。
年間何日ぐらい川が流水で繋がるのか思ってしまう…いつも干からびた印象の
川でもある。吉富町・上毛町を山国川とでサンドする食パンリバー。

虹は「太陽を背にして」。まるで戦のようだけど、風がちょっと怪しいな?と
感じたら、この戦法がオススメ。

posted by 薄学斎 at 13:07|

2020年01月04日

「中津城大返し」 その後…中津市(大分県)

今年の初日の出撮影は「中津城大返し」で耶馬渓へ。今年はブー
ムの先取りを画策する薄学斎か。
しかし惨敗記録更新中の中津城攻め(天守とご来光)を放ってお
く訳でなく、朝食を摂りに帰宅ついでにチョットまわり道。

この中津城も「黒田ブーム」が過ぎ去った。昔から取り組んでま
した顔で、あれほど居た湧いて出てきたような研究者?達は何処
へ。今度は耶馬渓かな?。
薄学斎は「官兵衛」ではなく「黒田孝高(如水)」で通したので、
ブームに関わってないから知らんけど。

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中津市街と河口の三角州・小祝を渡す「北門橋」より撮影。
眼下の川は中津川。江戸時代まではここが山国川の本流だった
とされる。〈現在は〉小祝に沿った1q余りの流域を呼ぶようだ。
三角州というからには、小祝を挟んで県境の山国川本流がある。
過去において、本流筋は変化を繰り返して来たものと思われる。
江戸期の文献に現在の本流となる「川押切りの儀」などという資
料が存在するそうで現物を見てみたいのだが、中津市は協力して
くれないだろう。だから当学会からも情報提供等ができないのだ。

河口に近い汽水域。画像は干潮の中津川。中津城は「水城」。
また城郭の形状から「扇城」(せんじょう)とも呼ばれるとある。
13年前に関係者達とちょっと揉めたのだが(おうぎじょう)でも
薄学斎は差し支えないと考えている。

眺めるのも良し(鉄筋コンクリート造だけど)。オススメは天守
の最上階で殿様気分に浸ることだ(エレベーターないけど)。

で、ご来光撮影の方は…。

posted by 薄学斎 at 14:21| 河口の街